白梅弥子のカライドサイクル

適当な事をちゃんと書く覚え書き的なブログ

享年14歳

うちのたまは14歳で死にました

 


たまのことを、伝えたいと思います

 


私のお母さんは優しい女医さんで、お父さんは偉い刑事さんで、頭の良い高校に通っている格好良いお兄ちゃんがいて、大っきな家に住んでいて、友達からいいないいなと言われていたので自慢でした

 


私が生まれる前からたまとドーベルマンのジャッキーが居て、よく一緒に遊びました

 

 

 

でも幼稚園の頃、友達のちよちゃんちにいる猫を見て、うちのたまと全然違うなと思いました

 


たまはちよちゃんちにいる子よりも毛が少なくて、ぼさぼさで、お母さん達に可愛がられていませんでした

 


お母さんに言ったら、うちのたまは仕方なく貰っただけだからよっていつもよりも優しく言われました

 

 

 

冬、たまが古い座布団に丸まって寒そうにしていたので、私の毛布を掛けてあげたら、次の日の朝、お母さんに、汚いから止めなさい!って怒られました

 


ある日、たまが私の晩御飯をじっと、じっと見ていたので、こっそり唐揚げをあげたらお母さんに見つかってまた、たまにはツナ缶で充分なのよとこっぴどく叱られました

 

 

 

あの時のお母さんはお母さんじゃないみたいでした

 

 

 

 

 

 

だから私はそれから怒られないようにこっそり晩御飯の残りをたまにあげるようにしていました

 


晩御飯をあげたり、おやつをあげたり

バレそうになったらたまはすぐに逃げて行きました

 

 

 

 

 

 

私が小学生になった頃、たまの具合が悪くなって、お腹が丸くなって来ました

 

 

 

 

 

 

 


たまは、一歩も、外に出ないのに

 

 

 

 


お母さんはまたお母さんじゃないみたいになって、私は自分の部屋に居なさいと言われて、ただただ、じっとしているほかありませんでした

 

 

 

 


それから何日かして、家族で出かけて帰ってきたら、たまは死んでいました

 


ジャッキーに食い殺されたんだと聞かされました

 

 

 

 

 

 

小さい頃、一緒に、遊んでいたのに

 

 

 

 


それから何日かして、おばあちゃんが来てお母さんと喧嘩していたので部屋にこもっていました

 


おばあちゃんが帰ったあと、お母さんは疲れているだけじゃないような顔をしていました

 

 

 

 


たまのお葬式をすることになって、その時は、お母さんはまたいつものお母さんじゃないみたいに泣いていました

 

 

 

 

 

 

そして親戚の人たちが帰ったあと、お母さんはケロッとして私にたまの骨壷を投げるように渡しました

 

 

 

腕いっぱいにずっしりと抱えた骨壷の重さは忘れません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今、たまが死んだ歳になりました

 


たまの一生は、短すぎました

 

 

 

 

 

 

 


いまはただ、お兄ちゃんの目が怖いです